尻尾のないエイを釣って思ったこと

釣り

2018.12.06



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先日、多摩川に釣りに行ったところ、アカエイが釣れました。

 

釣ったアカエイを見ると、尻尾がありません。

それについて色々思うことがあったので、これを機に
釣りの外道と呼ばれる魚との接し方について、自分の思ったことを書いていきたいと思います。

魚釣り業界で、「外道」とは一般的に釣り人が
狙っている魚以外を指す言葉です。

 

フリーザとかアミバとか、そういった
冷酷極まる悪者のことではないです。

例としては、シロギス釣りなどで釣れる
クサフグやハオコゼなどが有名です。

クサフグやハオコゼは食べようと思えば
食べれなくもない魚ですが、仕掛けの糸を
鋭い歯でブチブチ切っていったり、背ビレや内臓に
毒があったりで正直釣れてほしくない魚です。

 

そういった厄介者であるがゆえに、よく堤防の
上で干からびていたり、釣りあげた釣り人が
目の前で踏んづけたり、背ビレを切って
逃がしたりと、とてもひどい扱いを受けてます。

こういったことを書くと、

「じゃあ、お前だって釣りやめろ」

と言う人もいると思います。

その通りだと思います。
釣りという行為自体が金属製の釣り針で魚を傷つける
という行為であり、もともとの食料獲得方法から
逸脱した現代の釣りの倫理観では、どんなにきれいごとを
並べても所詮はブーメランであり、自らで矛盾を
露呈させているに過ぎません。

こんなこと偉そうに書いておいて、全く矛盾した
ことをやっていると自覚しています。
犬の名前がついたどっかのエセクジラ愛護団体と変わりません。

ですが、今回の尻尾のないアカエイを釣った
ことでどうしても書きたかったことがあります。

ここからは個人的できわめて自分勝手で矛盾した
考えなのですが、食べない魚に関しては、なるべくダメージを残さず
水に返してあげたい、と思っています。

こういった行為を過去に見てきました。

10年以上前のこと。
友人と3人で座布団カレイを釣ろうと渡船で沖提に
渡ったことがあります。
その時は常連メンバーが一番良い場所をすでに取って
いました。全員50歳代から60歳代です。
時間も昼を回った時、その常連メンバーの一人が
何やら大物を掛けました。

その沖提にいた全員が見守る中釣りあげたのは
60㎝を超えるサメ。
ほとんど全員が「なんだ」と解散するなか、
私は、釣ったサメをどうするのかと思ってみていた
ところ、その常連はサメの尻尾を持って沖提の
角にたたきつけ始めました。何度も何度も。
そしてぐったりしたサメを海へぽい。
食べたらおいしいサメを殺すだけ殺しておいて、
食べもせず捨てる。
その時は、気分が悪くなった、という言葉では
言い表せないほどの感情が込み上げました。

もう一つの事例は毎年初夏の頃の話です。
初夏頃になると多摩川ではテナガエビ釣りが
盛んになり、早い人なんかは明朝6時ころには
すでに釣り糸を垂れています。住宅地から近く、
足場が良い場所でできる釣りなので高齢者の
人口が多い釣りです。
ある日、私もテナガエビを釣ろうと、
家の近くに出かけると、その場所にはすでに先客が。
見るからに70から80歳台の釣り人でした。

「釣れますか?」と声を掛けると、

「ダボハゼばっかりだよ」と。

そこでふと気が付きました。
この老人の周りに転がるダボハゼの死体。
カラカラに干からびたのもあれば、まだピクピク
動いているのも。
しばらく見てると、その老人、私の目の前で
エビはバケツへ、ダボハゼはそのままコンクリートの
上に放置していました。

「なぜダボハゼを無駄に殺すんですか?」と聞くと、

「こいつらはエサを取っちまうんだよ」と。

私「まだ生きてるので川に戻しておきますね」

とその老人の目の前で生きてるダボも
カラカラに干からびたダボも全部川に戻しました。

以下、ステーキを毎日たらふく食って動物愛護を
訴える団体と大差ない私の矛盾した意見です。

私は人間が自然の一部だと考えており、
釣りとは、ヒトという生物が自らを生かすために
他生物の命を奪うための手段の一つだと考えています。

しかし、その他生物の中には鋭い歯を持っていたり、
毒を持っていたりして、ヒトが奪う命に選択肢を
持つ場合があります。そして、捕らえた他生物の
命を奪わず、選択肢として「逃がす」という
選択をした場合、その逃がされた生物は自然環境へと
戻り、再び食物連鎖の中に加わります。
当然、ヒトが命を奪うと選択した場合の他生物もこの
連鎖の中ですが、堤防の上に放置されたフグなどの
魚は鳥などにすら見向きもされず腐敗を待つだけの
食物連鎖から外れた存在になります。

食物連鎖

これは小学校で誰しもが習うことです。
人間が好む、好まずに拘わらず、すべての生物が
他生物の命によって己の命を支えています。
堤防に捨てられて干からびているクサフグだって、
ハオコゼだって、ダボハゼだって、です。

ダボハゼが先にエサに食いつくからといって、
ダボハゼを無駄に殺していれば、ダボハゼの前後の
食物連鎖も崩壊し、それを始めたとした周辺の食物連鎖
へ影響するのは想像に易いです。そのうち人間が
想定もしないことがおき、いずれはテナガエビにも
なんらかの影響があるでしょう。

カレイ仕掛けに食いついてくるサメに腹が立ったからと
いって無駄に殺していれば、まわりまわっていずれ
カレイの生態系にも影響を及ぼします。

「昔は良く釣れたけど、最近は全然だめだねぇ」

年配の釣り人からよく聞く言葉です。
しかし、私からみればそういった世代の
釣り人にこそ外道の魚を無駄に殺す、といった行為が
多く見受けられます。

昔の方が釣れたのなら、外道だってなんだって、
食べないのに無駄に殺すのはやめませんか。
食物連鎖の一部である彼らを無駄に殺していれば、
今だってそんなに釣れないのに、未来はもっと
釣れなくなりますよ。

私はそう思います。

「そんなに魚を守りたいんだったら釣りやめろ

この一言に対しての反論は一切ありません。
今までの私の意見がエゴまみれの矛盾したもので
あることは分かっているのですが、それでも
食べるための釣り、楽しむための釣りをしたいと
思っています。

その釣りが少しでも長く、多くの人とできるように、
これからもハオコゼやアカエイなどの毒針を取り
除いたりせずなるべく釣り針を外すだけで
逃がすようにし、ダボハゼやフグなどのエサ取りは、
コンクリートの上に放置せず逃がしてやろうと思います。



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コメント

  1. あなたの主張は真っ当であると私は感じます。
    怒り、偏見、憎悪、これらを自分よりも明らかに弱い存在に(それも物言わぬ獣?に)向けられている様子は第三者から見れば不快でしかありません。ましてや、「釣り」という問題の原因を創っておきながら、「外道が釣れる」という気に食わない問題が発生した際に、その問題を感情的に、そして暴力的にその外道へ転嫁するというのは、その釣り人のマインドが幼稚以外の何ものでもないと言えるでしょう。(中には何も考えず機械的、条件反射的に「当たり前の行為」として行っている釣り人も居るのかもしれませんが……)

    昨今、インターネットでは理屈(大抵は稚拙な屁理屈ですが)が猛威を振るい、人が感じる感情を「偽善」だの「自分勝手」だのと蔑み、排除するような言論空間が形成されています。イデオロギーな話になってしまい恐縮ですが、これはかつての共産主義の考えと被るように私は思えて仕方がないのです。
    共産主義とは、生物としての「ヒト」と人間社会で生きるヒトとしての「人」の本質、例えば生物的特性、感情、欲望、価値観、醜さ、優しさ、残酷さ、暖かさ、理不尽さ等を否定し抑圧し排除することによって成り立つ考えです。そしてヒト及び人とはいったいどういうものであるのか、ということを無視した「すべての労働者のための、人間性を欠いた、机上論の完璧なる理屈」によって当の労働者とされた人々がどのような目に遭ってきたかはあなたも知っているでしょう。

    思わず長くなってしまいました。
    要は「可哀相だ」「魚を守りたい」という感情も、「同じく魚を傷つけて消費している」という理屈も、どちらかを(またはどちらも)蔑ろにするのではなく、そこから生じるその板挟みの葛藤から、自分と周りのできるだけ多くの人々が納得出来る(言い換えるなら「都合のよい」)答えとその答えを見つけ出そうという姿勢が大事なのであると、私は言いたいのです。
    今現在、あなたの考えはこの当時と変わっているのかもしれませんが、私はあなたの(少なくともこの記事での)気概にも似たその姿勢、及び考えに賛同いたします。

    • うおたくさん

      コメントどうもありがとうございます。
      あまりPV数のないこのブログは誰にも見られていないのではないかと思っていた時に
      このようなコメント頂けてうれしいです。
      私はうおたくさんのようなイデオロギーや共産主義を語れるほど
      学はないのですが、いただいたコメントから同じものを共有していると
      感じました。これからもうおたくさんのような賛同者の方が増え、
      魚を含めた生態系全体への意識を釣りを通して高めることができたら
      と思います。
      本当にこのようなコメントをいただきうれしいです。
      ありがとうございました。

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